
020430
名水百選に選ばれたわが町の名水「観音水」。かりまた山の鍾乳洞から滾々とでる水。250m程下流に水取り口があるので、ここまで上る人はあまりいないが、水ファンは冬でも後を絶たない。名前入りのポリタンクを車に積んで当番で組に来る人もいる程。昔、缶コーヒーの空き缶に汲もうと列に並んだら「そんな小さい入れ物ではだめ」と言われたことがあった。信者にはかなわない。地元の人が守り続けているからファンが増えることは間違いない。

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名水百選に選ばれたわが町の名水「観音水」。かりまた山の鍾乳洞から滾々とでる水。250m程下流に水取り口があるので、ここまで上る人はあまりいないが、水ファンは冬でも後を絶たない。名前入りのポリタンクを車に積んで当番で組に来る人もいる程。昔、缶コーヒーの空き缶に汲もうと列に並んだら「そんな小さい入れ物ではだめ」と言われたことがあった。信者にはかなわない。地元の人が守り続けているからファンが増えることは間違いない。

0409
えひめ町並博2004のライトアップイベントの一コマ。私は在郷町には農具は似合わない、出来るだけ街の物を照らすようにと意見したイベント。結局、市の民具館から使えそうなものをピックアップ。ディレクターW女史のイメージでセッティング。当たったかどうかは問わないとして、あまりにも写真で発表されていないので一枚紹介。川で捕獲した魚を入れる魚籠。街の人も持っていたかもしれない一品。同行した知人も注目した白壁に照らされた模様を同じくパチリ。

030929
京都の嵯峨野といえば竹林とお寺を連想していた。丹後に用があったのでその前にこの地を訪れた。ちょうど昼頃だったので食事をすることにした。季節の京野菜の御膳。当たり前のように黒米が混ざった薄紫色のご飯。食事に疎い私もこのときの旅は妻と京の味を食することに、偶にはいいかもこんな旅。まち歩きしていると庭先や店の角に石の彫刻。どこかで見たことのあるデザインとは思っていた、「似てるな」とも思っていたが、そのときはあまり丁寧に見なかった。「まさか」が頭のどこかにあったのかもしれない。違うデザインだが二つ目に出会ったときには確信をもった。思い出した。知人のオランダ国籍の彫刻家K氏が昔、嵯峨野で個展をしたと言っていたことを。急いで一つ目に戻ってパチリ。帰って本人に確認すると個展終了後何点か残していたとのこと。「呑気な~、苔生し始めてたで~」。自分の町の彫刻家の作品に会おうとは。
京都 京都市嵯峨鳥居本 門前町 2.6ha 790521選定

001128
ハーシュホーン美術館は展示室がドーナツ形でぐるぐる廻って観るユニークな現代美術館。2階か3階かわからなくなりながら何周かし、気になった作品を何点か撮影、その一つがこれ。真っ白のビーナスの悩みはどの服にしようということか?どの色にでも染まる、どの色のビーナス、どのファッションかと考えていたら自然に足が止まっていた。いや虜になって迂闊にもじっと見てしまっていた。白は何色にも合う。悩みは尽きない。
悩みといえば、このような作品を日本でも見たいということも・・・・。

日本三薬師と言われ親しまれている通称「山田薬師」。正式名は潮光山善福寺。ちなみにあとの二つは島根県出雲市の一畑寺(一畑薬師)と福岡県久留米市の柳坂山永勝寺。当然御本尊は薬師如来。
今は四国曼荼羅霊場第53番札所にもなっている。子供の頃に連れられ4月8日の花祭りに訪れたのが最初。当時はすごい人だった。
わが町のシンボル「開明学校」(かいめいがっこう)。国の文化財に指定されて早十年経ちました。選定前には不慣れながら様々な角度から霞ヶ関提出用の写真を撮影したものです。建物ってあんまりデェフォルメ効かせてもいけず、枚数が多くなってもいけず、思うようにいかず何度か撮影しました。最近デジタル処理するようになって(撮影機材も増えましたが)簡単に修正できるようになったことを考えると、あの苦労は何だったんだという気持ちになります。僅か十年前なのに・・・・。私が子供の頃から教育資料館になっていたのですが、私個人の思い出はこの資料館がなければ大学で歴史を専攻しなかったかもしれないし、この館の運営を考えることは無かったのだろうと。たまたまではあるが出身地で残された文化財を活かし、残したい人がいたから帰ってこれたのだろうと。開館当時は毎週のように通っていたな、第二の学び舎。
071209
とうとうこのシリーズもネタ切れしてしまいわざわざ訪ねてきました。私の自宅から最短で1時間半くらいでしょう。何時も寄り道するので正確に測れません。棚田だらけの町でも「段々になっているところ」と聞くと案内いただきました。ほんとこの町棚田だらけ。まっ四国全域概ね平坦地が少ないので棚田が多いのもうなづけます。あっ四国に限らないか。一応選定地の映像ということで撮影しました。石垣は 石が多いのかな。この谷に入ったのは15年位前に実習に来ていた大学生を送って以来。石垣も所々直していました。農家元気元気。ここの水は四万十川水系なので太平洋に流れていきます。
トリプルスリーと読みます。えひめ町並博2004の宇和会場のイベントを支えた若衆軍団。
ファミレスでグループ名を話し合っていたときに丁度午前3時33分だったので、その時間をグループ名にしたそうで「お肌を痛めながらお話し合いありがとう」です。彼らは約半年間、着物でダンスをしたいと着付から学びはじめ、ダンスを考え練習をし、土日のイベントプログラムには積極的に参加してくれました。イベント終了から早3年、みんなバラバラになってしまいましたが、またいつの日か復活して下さいね。楽しみにしております。
みなさま明けましておめでとうございます。
何を年頭に持ってこようか考えておりました。で・・・・わが国最初の天皇「神武天皇陛下」の像にしました。私の前の職場の近くに立っている白井雨山作「神武天皇像」です。ちなみにその土地と神武天皇は関係ありません。私の昔いた職場の一角に、後に東京藝大の彫刻科の教授になる白井保治郎が生まれています。小さい頃から手先が器用で東京美術学校に一期生で入学しています。よほど絵が好きだったことと思います。とはいっても全国から集まった天才学友に絵では勝てなかったようで彫刻を専攻。ここからがすごいんです。当時主流の木彫にははしらず量産のきく塑像に興味を示し卒業後、教員として母校に戻り欧州の彫刻を学んだ一関出身の彫刻家長沼守敬と塑造科の設立に尽力し助教授に着任。長沼教授退官後教授となり北村西望、朝倉文夫、建畠大夢らを教育しています。晩年の作品が地元の公園に贈ったこの神武天皇像です。今では石膏像とか粘土で立体像を小中学生で学びます。
片田舎に生まれ、地元の人の支援があって日本最初の美術学校で塑像を学び、世に新たな彫刻の世界を広めた偉大な教育者「白井雨山」が、生まれ育ち遊んだ公園に贈った像がこの「神武天皇像」だったのです。眼下には当時の小学校。「神武天皇」の像は思い出の地に最も納めたかったモチーフだったのかもしれません。

021124
岐阜の代表的観光地の一つ「高山」の町並み三町(さんまち)。「食」も「土産」も「宿」もある。長野の松本に対して岐阜の高山というところか。南アルプスを東にして発展した街の賑わいは本物。近年は辻の案内板の整備や散策マップがあるので自由散策が主流なのか人の往来は京都並みのような感じを受けた。二度目早朝に訪れた際に軒下の蜘蛛の巣取りをしている方に声をかけた。っというか早朝行けば毎日の光景らしい。私はそれを知らず「何日おきに作業されているんです」と聞いて、苦笑いされてしまった。よく見ると脇に笹が納まっている。建物は外装がただ守られているわけではない。塗装一つ剥げていない理由も同じことだと思う。小口の真っ白い塗装も目立つはずだ。納得。
町並み散策で買い物というのはこの地あたりが成功例ではないだろうか。よいお年を
岐阜 高山市三町 商家町 4.4ha 790203選定 970529追加選定
by ta-ma
子どもの事情